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煉獄都市 第1章 悪意のるつぼ・メガトキオ(4)
「ふうッ・・・」
午前中に依頼主への報告を一件片付けると、青井慎也は事務所内のデスクチェアに深く身体を沈めて溜息をついた。
彫りの深い端正な顔は赤銅色に日に焼け、胸元には引き締まった筋肉が盛り上がっているのが、スーツの上からでも良く分かる。しかし健康的な肉体の印象とは裏腹に、彼の表情には、疲労と苦悩の色が濃く滲んでいた。
駆け出しのP・I(私立探偵)として独立してから二年・・・・今では四人の助手を使うまでになった彼は、この業界で一応の成功を収めつつあると言えるだろう。・・・にもかかわらず、日々これほど胸が塞ぐのは・・・。
(そう・・・あの娘のことがあるからだ・・・)
心中でそう一人ごち、慎也は左腕にはめた時計型のデジタルコミュニケーター(電話その他の情報端末が一括搭載された機器)に軽く指を触れた。
青く透き通った表示基部がやや明るくなり、その上の空間に小さな表示キューブが形成された。そしてその中に、登録しておいた知人らのアクセスコードが、カテゴリー別に配列されていく。
彼はしばらく首を捻って逡巡していたが、やがて思い切ったように、コードの一つを指でなぞった。
ピッという微かな音と共にそのコードが明滅し、先方へのアクセスが確認されると同時に、表示色が緑からオレンジに変化する。
「はい、早坂です・・・」
若く瑞々しい女性の声が、コミュニケーターから弾むように流れ出た。
「やあ恵麻里ちゃん、僕だよ」
「・・・慎也さん・・・」
通話相手・・・早坂恵麻里の声が冷たくこわばったのを察知して、慎也は慌てて言葉を継ぐ。
「元気かい?ずいぶん長く会っていないけれど・・・」
「わ、私・・・・」
「一度ゆっくり会って話がしたいんだ。今晩食事なんかどうだろう?」
「・・・・・」
通話口の恵麻里は暫く考え込むかのように無言だったが、やがて決然とした声を出した。
「この間も言ったとおり、お話しすることは、もう何もないと思うわ」
「いや僕は、ただ誤解を解いておきたくて・・・」
「誤解なんて!・・・」
必死に感情を押し殺そうとしていたらしい恵麻里の声がヒステリックに跳ね上がる。
「誤解だなんて、何もないわそんなの!あなたは父と、そして私の信頼を裏切った!そんなあなたと今さら何を話せというの?」
「恵麻里ちゃん、僕は・・・」
「それに私、今夜は忙しいの。一刻を争う仕事があるのよ」
そう言われて慎也は、コミュニケーターの向こうで、ハイブリッドエンジンの音が低く唸り続けている事に漸く気がついた。
「今、車に乗ってるのかい?一刻を争う仕事って、S・Tのことじゃないだろうね?」
「おっしゃるとおり、S・Tに出かける途中よ。これが私の仕事だもの」
「恵麻里ちゃん、聞いてくれ・・・」
と慎也は我知らず強い口調になり、
「僕は君に、一刻も早くその仕事を辞めさせたいんだ。S・Tは危険極まりない、言ってみれば綱渡りの様な仕事だ。18才の女の子に続けられる生業じゃないよ。これまでは何とか無事に渡ることが出来たかもしれないが、今日は綱から落ちないという保証はどこにも無い。僕自身、二年前までS・Tをやっていたから良く分かるんだ」
「そうね、確かにこの業界の事は良くご存じでしょうよ」
諭すように言われたのが気に障ったのか、恵麻里は皮肉な口調になった。
「あなたは、名S・Tといわれた私の父の元で助手をしていたんだもの。その父は病気で亡くなる時に、あなたに事務所を継いで欲しいと言い残した。でもあなたはさっさと独立して、自分の事務所を構えたわ。あれだけ父に目をかけてもらっておいて、一体何が不満だったの?」
「不満だなんてとんでもない!その誤解を解きたいんだよ!」
「解いていただかなくて結構よ。気にかけて下さらなくても、早坂探偵事務所は私が立派にやっています。父の遺志を継いでね!」
「待ってくれ恵麻里ちゃん、僕が独立した訳は!・・・」
「さようなら!もう電話しないで!・・・」
恵麻里の声がまるで泣いているように細く掠れ、同時にデジタル回線が切断されて、コミュニケーターは沈黙した。
「・・・・・」
西向きの窓から午後の陽光が射し込み始めた室内で、デスクに向かった慎也は、長い間じっとうつむいたまま動かなかった・・・。
午前中に依頼主への報告を一件片付けると、青井慎也は事務所内のデスクチェアに深く身体を沈めて溜息をついた。
彫りの深い端正な顔は赤銅色に日に焼け、胸元には引き締まった筋肉が盛り上がっているのが、スーツの上からでも良く分かる。しかし健康的な肉体の印象とは裏腹に、彼の表情には、疲労と苦悩の色が濃く滲んでいた。
駆け出しのP・I(私立探偵)として独立してから二年・・・・今では四人の助手を使うまでになった彼は、この業界で一応の成功を収めつつあると言えるだろう。・・・にもかかわらず、日々これほど胸が塞ぐのは・・・。
(そう・・・あの娘のことがあるからだ・・・)
心中でそう一人ごち、慎也は左腕にはめた時計型のデジタルコミュニケーター(電話その他の情報端末が一括搭載された機器)に軽く指を触れた。
青く透き通った表示基部がやや明るくなり、その上の空間に小さな表示キューブが形成された。そしてその中に、登録しておいた知人らのアクセスコードが、カテゴリー別に配列されていく。
彼はしばらく首を捻って逡巡していたが、やがて思い切ったように、コードの一つを指でなぞった。
ピッという微かな音と共にそのコードが明滅し、先方へのアクセスが確認されると同時に、表示色が緑からオレンジに変化する。
「はい、早坂です・・・」
若く瑞々しい女性の声が、コミュニケーターから弾むように流れ出た。
「やあ恵麻里ちゃん、僕だよ」
「・・・慎也さん・・・」
通話相手・・・早坂恵麻里の声が冷たくこわばったのを察知して、慎也は慌てて言葉を継ぐ。
「元気かい?ずいぶん長く会っていないけれど・・・」
「わ、私・・・・」
「一度ゆっくり会って話がしたいんだ。今晩食事なんかどうだろう?」
「・・・・・」
通話口の恵麻里は暫く考え込むかのように無言だったが、やがて決然とした声を出した。
「この間も言ったとおり、お話しすることは、もう何もないと思うわ」
「いや僕は、ただ誤解を解いておきたくて・・・」
「誤解なんて!・・・」
必死に感情を押し殺そうとしていたらしい恵麻里の声がヒステリックに跳ね上がる。
「誤解だなんて、何もないわそんなの!あなたは父と、そして私の信頼を裏切った!そんなあなたと今さら何を話せというの?」
「恵麻里ちゃん、僕は・・・」
「それに私、今夜は忙しいの。一刻を争う仕事があるのよ」
そう言われて慎也は、コミュニケーターの向こうで、ハイブリッドエンジンの音が低く唸り続けている事に漸く気がついた。
「今、車に乗ってるのかい?一刻を争う仕事って、S・Tのことじゃないだろうね?」
「おっしゃるとおり、S・Tに出かける途中よ。これが私の仕事だもの」
「恵麻里ちゃん、聞いてくれ・・・」
と慎也は我知らず強い口調になり、
「僕は君に、一刻も早くその仕事を辞めさせたいんだ。S・Tは危険極まりない、言ってみれば綱渡りの様な仕事だ。18才の女の子に続けられる生業じゃないよ。これまでは何とか無事に渡ることが出来たかもしれないが、今日は綱から落ちないという保証はどこにも無い。僕自身、二年前までS・Tをやっていたから良く分かるんだ」
「そうね、確かにこの業界の事は良くご存じでしょうよ」
諭すように言われたのが気に障ったのか、恵麻里は皮肉な口調になった。
「あなたは、名S・Tといわれた私の父の元で助手をしていたんだもの。その父は病気で亡くなる時に、あなたに事務所を継いで欲しいと言い残した。でもあなたはさっさと独立して、自分の事務所を構えたわ。あれだけ父に目をかけてもらっておいて、一体何が不満だったの?」
「不満だなんてとんでもない!その誤解を解きたいんだよ!」
「解いていただかなくて結構よ。気にかけて下さらなくても、早坂探偵事務所は私が立派にやっています。父の遺志を継いでね!」
「待ってくれ恵麻里ちゃん、僕が独立した訳は!・・・」
「さようなら!もう電話しないで!・・・」
恵麻里の声がまるで泣いているように細く掠れ、同時にデジタル回線が切断されて、コミュニケーターは沈黙した。
「・・・・・」
西向きの窓から午後の陽光が射し込み始めた室内で、デスクに向かった慎也は、長い間じっとうつむいたまま動かなかった・・・。
煉獄都市 第2章 それは煉獄の扉(1)
「『マンスリーメガトキオ』の記者さんですか。随分お若いんですのね」
ソファに座って、恵麻里の差し出したデジタル身分証を見ながら、クリス・宮崎と名乗ったその女性はニッコリと微笑んで見せた。
25、6才だろうか。目尻の吊ったややきつめの顔立ちを、ルーズなスパイラルのかかったセミロングの髪が、上手く柔和な印象に見せている。
その髪は輝くようなプラチナブロンド。瞳は薄いブルー。肌の色は抜けるような白・・・。
名前は日系ハーフの様だが、その外見には、東洋人らしさは少しも感じられない。
恵麻里は向き合った相手の成熟した美しさに圧倒されながら、清潔に整えられた応接スペース内の様子を見回した。
彼女が今いるのは、さらわれた深雪という少女が最後に向かったという場所・・・「新世界準備会」なる団体の施設で、それは意外にも、メガトキオ内でも治安の良い、まともなビジネス街の一角にあった。
「サンクチュアリ」と呼ばれるその施設は、瀟洒な小豆色の建物で、三つあるフロアの全てが「新世界準備会」によって使われているらしい。恵麻里の通された応接スペースは、その1Fホール内にあった。
「さっそくお話しを伺いたいのですが・・・」
襟のないダブルのジャケットとミニのボックスプリーツに身を固めた恵麻里は、周囲の観察を中止すると、精一杯大人めいた素振りで応接テーブルの上に身を乗り出して言った。
光沢のある明るい緑色の上下に、胸元に結んだ大きな黄色のリボンがよく映えている。
少女がこの施設に囚われているのか、いやそもそもこの団体の実態が犯罪組織なのかどうか確信がなかったため、恵麻里は雑誌の取材と偽り、その記者を装って、単身調査に乗り込んで来たのである。
クリスに指摘された通り、総合情報誌の記者としてはやや若すぎるかもしれないが、最近は若者向け雑誌が女子高生記者を雇ったりもするので、とりたてて不自然とは映らないはずだった。
「・・・一部のマスコミで報道されたように、こちらの団体に所属していた会員が、去年一年間だけで14人も行方不明になっています。どう考えても異常な数字ですが、こちらでは何かお心当たりはないのですか?」
恵麻里のした質問は、もちろん「取材」の口実ではあったが、その内容はウソやでっち上げではない。静音の検索したデータによれば、過去この団体の所属会員が、延べにして40人近くも謎の失踪を遂げているのだ。
これにマスコミが気付いてちょっとした騒ぎになったため、この風変わりな団体名を、恵麻里もかすかに記憶していた訳だ。
「・・・私ども『新世界準備会』では、会員の失踪について、何の心当たりもありません」
テーブルの向こうから恵麻里を真っ直ぐに見据えたまま、この団体の広報担当だというクリス・宮崎は静かに言った。
「一連の報道については本当に困惑しています。内容もデタラメだらけですし・・・」
「というのは?」
「まず失踪した人々は皆、当時すでに、当団体の会員ではありませんでした。つまり姿を消されたのは、いずれも退会なさった後のことなのです・・・」
(退会の時期なんて、データを操作すればいくらでもごまかせるわ)
と恵麻里は内心苦笑したが、クリスの凛とした物言いには、誠実に事情を説明しようとする熱意が感じられる気もする・・・。
「それから、当団体の活動目的を完全に誤解なさっている報道が目立ちます」
「確かこちらは、健康増進のための会員制クラブだと公称なさっていましたね」
「そうですよ。内実もその通りなのです」
クリスは大きく頷いてみせ、テーブルの上の統合リモコンパッドを持ち上げると、ホールの奥の壁に向けてスイッチを入れた。
「ご覧下さい」
「あッ・・・」
特殊なマテリアルで出来ていたらしい壁は、リモコンの信号に応えてみるみる透き通り、マジックミラーのようにその向こうの情景をあからさまにした。
そこは緩く湾曲した天井を持つ中規模の屋内プールで、会員らしい人々が数人、水着姿で動き回っているのが見える。
彼らは皆、壁の蛇口から注がれる水を小鉢に受けて飲み、短時間プールに浸かり、また上がっては水を飲むという不可解な動作を繰り返していた。
「あの人たち・・・ここの会員さんなんでしょうけど、何をしてらっしゃるんですか?」
当惑して尋ねる恵麻里に、クリスは軽く微笑んでみせ、
「あれが当クラブ独自の健康増進法です。便宜上『アクア(水法)』と呼んでいます」
「水を飲んで水浴をするのが健康法なんですか?あの皆さんの飲んでいるのは、只の水でしょう?」
「確かに水ですが、『只』のという訳ではありません。各種ミネラルや薬用物質が添加されているんです。詳しい成分は企業秘密ですが、もちろん危険な薬物は使用していませんよ」
クリスはツイと腕を上げて、プールサイドに立つ、ここのスタッフらしい人物を指差した。
それは白衣を着た老人で、会員たちに何か事細かに指示を与えている。
「あの人が、水の成分調整を担当しているアゲット博士です。博士は『水法』を今日的に組み立て直した功労者ですよ」
「今日的というと、似たような健康法は古くからあるのですか?」
「ええ、呼び方は様々ですが、各国に昔からありますよ。当『サンクチュアリ』では、十九世紀のイギリスで盛んだった『ハイドロ(水療院)』という施設をモデルにしています」
「でも・・・失礼ですけど、水を飲むだけで、本当に健康増進の効果があるのかしら?」
我知らず揶揄するような口調になった恵麻里に対して、クリスは広報担当者らしく大げさな表情を作ってみせ、
「それはもう!『水法』は人体を、内側から清浄に作り替えるのですよ!それに同時に、ダイエットの効果もあるのです。だからほら、若い女性の会員が多いでしょう?」
・・・確かにプール室にいる会員の大半は女性で、若く美しいプロポーションの者が多い。
(でも、ということは・・・)
と恵麻里は、口元のほくろを押さえながら考え込む表情になり、
(仮にこの団体の実態が犯罪組織なのだとしたら、拐かす女性には事欠かない訳だわ。深雪という娘も、美容目的でここに通っていて目を付けられたのかもしれない・・・)
「この他、二階にはストレッチの設備がありますが、これはむしろ会員の皆さんにリラックスしていただくために置いてあるのです。したがって、この『水法』を指導実践することが、当団体の主要活動と言っていいでしょう・・・」
クリスはリモコンを操って、壁を元通り不透明に戻しながら言った。
「どうでしょう、『新世界準備会』が、健康のための会員制クラブにすぎないことがお分かり頂けたでしょうか?」
「報道されたような、何らかのカルト教団だとか、誘拐犯罪に携わる組織ではないと?・・・」
「そうです。当団体では、何らかの布教を行ったり、法外な寄付を集めたり等は、一切しておりません。・・・まあ会費は少々お高いですが・・・」
クリスの口元に微苦笑が浮かんだ。
「・・・もしかしたら『新世界準備会』という大仰な団体名が、カルト教団らしく聞こえるのかもしれませんね。うちとしては、次世代のために健康な肉体を作って欲しい、という意味あいを込めて命名したんですが・・・」
「なるほど、こちら様の活動内容は良く分かりました。では改めて伺いますが・・・」
恵麻里はあえて挑戦的な表情を作り、テーブル越しにじっとクリスを見つめた。
「会員の失踪原因について、本当に何もお心当たりはありませんか?あなたの個人的な御意見でもいいんですが・・・」
「私個人の・・・」
クリスの青い瞳は、少しも動揺の色を浮かべることなく、恵麻里の視線を真っ直ぐに受け止めていた。
「・・・いいえありませんね、何も。彼らが何故失踪したのか、想像もつきません」
「そうですか、分かりました」
それ以上の追及をあきらめて、恵麻里は笑顔を浮かべ直し、
「ところで、他のフロアも見学させて頂けますか?それと、会員の皆さんにもお話しを伺いたいんですが・・・」
「いいですとも、どうぞこちらへ・・・」
クリスは快く請け合い、恵麻里の先に立ってエレベーターへと歩き始める。その後ろ姿を見ながら、恵麻里の疑念は、今や確信に変わりつつあった。
(深雪という娘はここに囚われている!間違いなく!・・・)
彼女にそう思わせたのは、クリスのあくまで朗らかで泰然自若とした態度だった。
それが、常習的に他人を欺いて生きてきた者の「仮面」であることを、恵麻里はその経験から直感的に見破っていたのである・・・。
ソファに座って、恵麻里の差し出したデジタル身分証を見ながら、クリス・宮崎と名乗ったその女性はニッコリと微笑んで見せた。
25、6才だろうか。目尻の吊ったややきつめの顔立ちを、ルーズなスパイラルのかかったセミロングの髪が、上手く柔和な印象に見せている。
その髪は輝くようなプラチナブロンド。瞳は薄いブルー。肌の色は抜けるような白・・・。
名前は日系ハーフの様だが、その外見には、東洋人らしさは少しも感じられない。
恵麻里は向き合った相手の成熟した美しさに圧倒されながら、清潔に整えられた応接スペース内の様子を見回した。
彼女が今いるのは、さらわれた深雪という少女が最後に向かったという場所・・・「新世界準備会」なる団体の施設で、それは意外にも、メガトキオ内でも治安の良い、まともなビジネス街の一角にあった。
「サンクチュアリ」と呼ばれるその施設は、瀟洒な小豆色の建物で、三つあるフロアの全てが「新世界準備会」によって使われているらしい。恵麻里の通された応接スペースは、その1Fホール内にあった。
「さっそくお話しを伺いたいのですが・・・」
襟のないダブルのジャケットとミニのボックスプリーツに身を固めた恵麻里は、周囲の観察を中止すると、精一杯大人めいた素振りで応接テーブルの上に身を乗り出して言った。
光沢のある明るい緑色の上下に、胸元に結んだ大きな黄色のリボンがよく映えている。
少女がこの施設に囚われているのか、いやそもそもこの団体の実態が犯罪組織なのかどうか確信がなかったため、恵麻里は雑誌の取材と偽り、その記者を装って、単身調査に乗り込んで来たのである。
クリスに指摘された通り、総合情報誌の記者としてはやや若すぎるかもしれないが、最近は若者向け雑誌が女子高生記者を雇ったりもするので、とりたてて不自然とは映らないはずだった。
「・・・一部のマスコミで報道されたように、こちらの団体に所属していた会員が、去年一年間だけで14人も行方不明になっています。どう考えても異常な数字ですが、こちらでは何かお心当たりはないのですか?」
恵麻里のした質問は、もちろん「取材」の口実ではあったが、その内容はウソやでっち上げではない。静音の検索したデータによれば、過去この団体の所属会員が、延べにして40人近くも謎の失踪を遂げているのだ。
これにマスコミが気付いてちょっとした騒ぎになったため、この風変わりな団体名を、恵麻里もかすかに記憶していた訳だ。
「・・・私ども『新世界準備会』では、会員の失踪について、何の心当たりもありません」
テーブルの向こうから恵麻里を真っ直ぐに見据えたまま、この団体の広報担当だというクリス・宮崎は静かに言った。
「一連の報道については本当に困惑しています。内容もデタラメだらけですし・・・」
「というのは?」
「まず失踪した人々は皆、当時すでに、当団体の会員ではありませんでした。つまり姿を消されたのは、いずれも退会なさった後のことなのです・・・」
(退会の時期なんて、データを操作すればいくらでもごまかせるわ)
と恵麻里は内心苦笑したが、クリスの凛とした物言いには、誠実に事情を説明しようとする熱意が感じられる気もする・・・。
「それから、当団体の活動目的を完全に誤解なさっている報道が目立ちます」
「確かこちらは、健康増進のための会員制クラブだと公称なさっていましたね」
「そうですよ。内実もその通りなのです」
クリスは大きく頷いてみせ、テーブルの上の統合リモコンパッドを持ち上げると、ホールの奥の壁に向けてスイッチを入れた。
「ご覧下さい」
「あッ・・・」
特殊なマテリアルで出来ていたらしい壁は、リモコンの信号に応えてみるみる透き通り、マジックミラーのようにその向こうの情景をあからさまにした。
そこは緩く湾曲した天井を持つ中規模の屋内プールで、会員らしい人々が数人、水着姿で動き回っているのが見える。
彼らは皆、壁の蛇口から注がれる水を小鉢に受けて飲み、短時間プールに浸かり、また上がっては水を飲むという不可解な動作を繰り返していた。
「あの人たち・・・ここの会員さんなんでしょうけど、何をしてらっしゃるんですか?」
当惑して尋ねる恵麻里に、クリスは軽く微笑んでみせ、
「あれが当クラブ独自の健康増進法です。便宜上『アクア(水法)』と呼んでいます」
「水を飲んで水浴をするのが健康法なんですか?あの皆さんの飲んでいるのは、只の水でしょう?」
「確かに水ですが、『只』のという訳ではありません。各種ミネラルや薬用物質が添加されているんです。詳しい成分は企業秘密ですが、もちろん危険な薬物は使用していませんよ」
クリスはツイと腕を上げて、プールサイドに立つ、ここのスタッフらしい人物を指差した。
それは白衣を着た老人で、会員たちに何か事細かに指示を与えている。
「あの人が、水の成分調整を担当しているアゲット博士です。博士は『水法』を今日的に組み立て直した功労者ですよ」
「今日的というと、似たような健康法は古くからあるのですか?」
「ええ、呼び方は様々ですが、各国に昔からありますよ。当『サンクチュアリ』では、十九世紀のイギリスで盛んだった『ハイドロ(水療院)』という施設をモデルにしています」
「でも・・・失礼ですけど、水を飲むだけで、本当に健康増進の効果があるのかしら?」
我知らず揶揄するような口調になった恵麻里に対して、クリスは広報担当者らしく大げさな表情を作ってみせ、
「それはもう!『水法』は人体を、内側から清浄に作り替えるのですよ!それに同時に、ダイエットの効果もあるのです。だからほら、若い女性の会員が多いでしょう?」
・・・確かにプール室にいる会員の大半は女性で、若く美しいプロポーションの者が多い。
(でも、ということは・・・)
と恵麻里は、口元のほくろを押さえながら考え込む表情になり、
(仮にこの団体の実態が犯罪組織なのだとしたら、拐かす女性には事欠かない訳だわ。深雪という娘も、美容目的でここに通っていて目を付けられたのかもしれない・・・)
「この他、二階にはストレッチの設備がありますが、これはむしろ会員の皆さんにリラックスしていただくために置いてあるのです。したがって、この『水法』を指導実践することが、当団体の主要活動と言っていいでしょう・・・」
クリスはリモコンを操って、壁を元通り不透明に戻しながら言った。
「どうでしょう、『新世界準備会』が、健康のための会員制クラブにすぎないことがお分かり頂けたでしょうか?」
「報道されたような、何らかのカルト教団だとか、誘拐犯罪に携わる組織ではないと?・・・」
「そうです。当団体では、何らかの布教を行ったり、法外な寄付を集めたり等は、一切しておりません。・・・まあ会費は少々お高いですが・・・」
クリスの口元に微苦笑が浮かんだ。
「・・・もしかしたら『新世界準備会』という大仰な団体名が、カルト教団らしく聞こえるのかもしれませんね。うちとしては、次世代のために健康な肉体を作って欲しい、という意味あいを込めて命名したんですが・・・」
「なるほど、こちら様の活動内容は良く分かりました。では改めて伺いますが・・・」
恵麻里はあえて挑戦的な表情を作り、テーブル越しにじっとクリスを見つめた。
「会員の失踪原因について、本当に何もお心当たりはありませんか?あなたの個人的な御意見でもいいんですが・・・」
「私個人の・・・」
クリスの青い瞳は、少しも動揺の色を浮かべることなく、恵麻里の視線を真っ直ぐに受け止めていた。
「・・・いいえありませんね、何も。彼らが何故失踪したのか、想像もつきません」
「そうですか、分かりました」
それ以上の追及をあきらめて、恵麻里は笑顔を浮かべ直し、
「ところで、他のフロアも見学させて頂けますか?それと、会員の皆さんにもお話しを伺いたいんですが・・・」
「いいですとも、どうぞこちらへ・・・」
クリスは快く請け合い、恵麻里の先に立ってエレベーターへと歩き始める。その後ろ姿を見ながら、恵麻里の疑念は、今や確信に変わりつつあった。
(深雪という娘はここに囚われている!間違いなく!・・・)
彼女にそう思わせたのは、クリスのあくまで朗らかで泰然自若とした態度だった。
それが、常習的に他人を欺いて生きてきた者の「仮面」であることを、恵麻里はその経験から直感的に見破っていたのである・・・。
煉獄都市 第2章 それは煉獄の扉(2)
静音・ブルックスは、「サンクチュアリ」なる施設の裏手に止めた車の中で、携帯用のデジタル端末から流れてくる音声に耳を凝らしていた。
ややくぐもって聞こえるその話し声は、雑誌記者と偽って施設内に潜入した恵麻里と、彼女に応対するクリス・宮崎のものだ。
静音は恵麻里のヘアバンドに仕込まれたマイクロ集音機を通して、パートナーの様子を逐一モニターしているのである。
(随分愛想のいい応対ね。この団体は犯罪とは無関係なのかしら?・・・)
クリスの朗らかな声を聞き、静音は訝しむ顔つきになって軽く頭を振った。後ろに撫でつけられた薄いブルネットの髪が豊かに波を打ち、陽の光を受けてキラキラと照り輝く。
白く美しい額に引かれた幅広の眉は、しかし髪と同じ淡い色であるせいか、どことなく頼り無げな印象を受ける。
瞳の色は明るいグレー。縁なしの眼鏡を乗せた鼻先に、ほんの薄く散りばめられた桃色のそばかすが何とも愛くるしい。
静音のその日本人離れした麗な容姿は、全てイギリスの軍人だった父譲りのものだ。
2022年の太平洋震災の折、静音の父は国際的な救援作業隊の一員として来日し、学生ボランティアとして被災地で働いていた日本人の母と結ばれたのである。
しかし二人の間に静音が生まれると、父は逃げるように単身故国へ帰還し、その後音信不通になってしまった。
一人とり残された母は静音を育てはしたが、愛そうとはしなかった。むしろ忌み遠ざけさえした。
母にとって静音は、その容姿ゆえに、自分を裏切った不人情な他国者(よそもの)を思い起こさせるだけの、イラつく存在だったのかもしれない。
その家庭環境は、静音を暗く塞ぎがちな少女にしたが、生来気弱で物静かな性格だった彼女は、グレることも出来ずに、鬱々と高校に通学していた。
そんな彼女の日常に劇的な変化が訪れたのは、つい二年ほど前のことである。
その綺羅々しい容姿が犯罪組織の目に留まるところとなり、「召喚」・・・即ち誘拐の標的にされてしまったのだ。
学校からの帰宅途中に数名の暴漢に組み付かれ、無理矢理車に押し込まれそうになっている静音を救ったのは、偶然現場を通りかかった早坂恵麻里であった。
当時すでに駆け出しのS・Tとして活動していた恵麻里は、見知らぬ少女の危機に素早く対応し、得意の合気道でたちまち暴漢を蹴散らしてしまったのだ。
(そう、あの時・・・)
デジタル端末越しに恵麻里の声を聞きながら、静音は彼女との初めての出会いにふと思いを馳せる。
(・・・あの時の恵麻里さんは、私にとって運命の女神のような気がしたわ・・・)
決して大袈裟ではなく、静音には恵麻里との出会いが、惨めな自分の生活を変えてくれるきっかけ・・・神の差し伸べた救いの手のように感じられたのだった。
静音は思いきって家を飛び出し、学校も中途退学して、恵麻里の事務所に身を寄せた。そして彼女のパートナーとして、探偵業に手を染めることになったのだ。
恵麻里にとっても、静音との出会いは、願ってもない優秀な共闘者の出現だった。
静音は幼い頃からデジタル情報機器に深く親しんでおり、それが恵麻里の仕事を強力にサポートすることになったからだ。
静音の役割は、大まかに言えば、恵麻里が犯罪組織に侵入する環境を整えることと、侵入後はその身辺をモニターして、緊急事態に備えることである。例えば恵麻里がクリスに渡したデジタル身分証も、静音の偽造した物なのだ。
そして万が一恵麻里の身に危険が及ぶようなことがあれば、組織の監視装置を電子的に麻痺させてから、静音自身が組織に侵入し、恵麻里や救出目標の女性を助け出す段取りになっていた。
・・・もっともそんな不測の事態に陥ったことは、これまで一度もなかったが・・・。
(・・・この組織も、今までのところ、何の危険も無さそうね・・・)
どうやらエレベーターに乗ったらしい恵麻里達の声は、やや聞き取りにくくなったが、その朗らかな調子は相変わらずだ。
静音はややくつろいだ表情になり、シートの上で大きく身体を反らせる。恵麻里とお揃いの緑のジャケットの胸元が、豊かすぎる女体を包みかねたかのようにピンと張り切った。
と、その時・・・・。
「?・・・」
怪訝そうな顔つきになり、静音は前方を凝視した。
10メートル程先にある「サンクチュアリ」の裏口がゆっくりと開き、中から人影が現れたのだ!
「あ、あの娘は!・・・・」
戸口に歩み出た、髪を短くシャギーに刈った少女に、静音は見覚えがあった。
そう、つい先程3Dの情報映像で見せられたばかりの救出目標・・・遠山深雪という、さらわれた女子高生だ!
「やはりここに囚われていたのね!・・・それにしても、何てひどい!・・・」
思わず静音が呟いたのも無理はない。
情報映像の中ではノーブルな制服姿だった少女は、今は一糸もまとわぬ全裸であった。しかも手足をそれぞれ革製の手錠で縛められ、ヨチヨチと不自由な歩みを強いられている。
どのような仕打ちを受けていたのか、その顔は強い恐怖心で血の気を失っており、映像で見せた快活な表情は微塵も残っていなかった。
(隙を見て、自力でここまで脱出して来たのかしら?・・・とにかく保護しないと!・・・)
静音が車のドアを開けかけた時、少女の肩越しに、何者かの腕がスーッと突き出された!
「あッ!・・・」
静音が叫ぶのと同時に、その腕は少女の首を巻くように締め上げ、弱々しく抗う少女を強引にドアの中へ引きずり戻そうとする!
明らかに、誘拐犯たちに逃亡が露見したのだ!
恵麻里と違って、一人で凶悪犯と渡り合ったことなど無い静音だが、躊躇している状況でないことは分かりきっていた。
(待っていて、今助けます!・・・)
彼女はダッシュボードからゴム弾を発射するノンリーサルガン(非殺傷銃)を抜き出すと、初弾をコックして車から走り出た!
ややくぐもって聞こえるその話し声は、雑誌記者と偽って施設内に潜入した恵麻里と、彼女に応対するクリス・宮崎のものだ。
静音は恵麻里のヘアバンドに仕込まれたマイクロ集音機を通して、パートナーの様子を逐一モニターしているのである。
(随分愛想のいい応対ね。この団体は犯罪とは無関係なのかしら?・・・)
クリスの朗らかな声を聞き、静音は訝しむ顔つきになって軽く頭を振った。後ろに撫でつけられた薄いブルネットの髪が豊かに波を打ち、陽の光を受けてキラキラと照り輝く。
白く美しい額に引かれた幅広の眉は、しかし髪と同じ淡い色であるせいか、どことなく頼り無げな印象を受ける。
瞳の色は明るいグレー。縁なしの眼鏡を乗せた鼻先に、ほんの薄く散りばめられた桃色のそばかすが何とも愛くるしい。
静音のその日本人離れした麗な容姿は、全てイギリスの軍人だった父譲りのものだ。
2022年の太平洋震災の折、静音の父は国際的な救援作業隊の一員として来日し、学生ボランティアとして被災地で働いていた日本人の母と結ばれたのである。
しかし二人の間に静音が生まれると、父は逃げるように単身故国へ帰還し、その後音信不通になってしまった。
一人とり残された母は静音を育てはしたが、愛そうとはしなかった。むしろ忌み遠ざけさえした。
母にとって静音は、その容姿ゆえに、自分を裏切った不人情な他国者(よそもの)を思い起こさせるだけの、イラつく存在だったのかもしれない。
その家庭環境は、静音を暗く塞ぎがちな少女にしたが、生来気弱で物静かな性格だった彼女は、グレることも出来ずに、鬱々と高校に通学していた。
そんな彼女の日常に劇的な変化が訪れたのは、つい二年ほど前のことである。
その綺羅々しい容姿が犯罪組織の目に留まるところとなり、「召喚」・・・即ち誘拐の標的にされてしまったのだ。
学校からの帰宅途中に数名の暴漢に組み付かれ、無理矢理車に押し込まれそうになっている静音を救ったのは、偶然現場を通りかかった早坂恵麻里であった。
当時すでに駆け出しのS・Tとして活動していた恵麻里は、見知らぬ少女の危機に素早く対応し、得意の合気道でたちまち暴漢を蹴散らしてしまったのだ。
(そう、あの時・・・)
デジタル端末越しに恵麻里の声を聞きながら、静音は彼女との初めての出会いにふと思いを馳せる。
(・・・あの時の恵麻里さんは、私にとって運命の女神のような気がしたわ・・・)
決して大袈裟ではなく、静音には恵麻里との出会いが、惨めな自分の生活を変えてくれるきっかけ・・・神の差し伸べた救いの手のように感じられたのだった。
静音は思いきって家を飛び出し、学校も中途退学して、恵麻里の事務所に身を寄せた。そして彼女のパートナーとして、探偵業に手を染めることになったのだ。
恵麻里にとっても、静音との出会いは、願ってもない優秀な共闘者の出現だった。
静音は幼い頃からデジタル情報機器に深く親しんでおり、それが恵麻里の仕事を強力にサポートすることになったからだ。
静音の役割は、大まかに言えば、恵麻里が犯罪組織に侵入する環境を整えることと、侵入後はその身辺をモニターして、緊急事態に備えることである。例えば恵麻里がクリスに渡したデジタル身分証も、静音の偽造した物なのだ。
そして万が一恵麻里の身に危険が及ぶようなことがあれば、組織の監視装置を電子的に麻痺させてから、静音自身が組織に侵入し、恵麻里や救出目標の女性を助け出す段取りになっていた。
・・・もっともそんな不測の事態に陥ったことは、これまで一度もなかったが・・・。
(・・・この組織も、今までのところ、何の危険も無さそうね・・・)
どうやらエレベーターに乗ったらしい恵麻里達の声は、やや聞き取りにくくなったが、その朗らかな調子は相変わらずだ。
静音はややくつろいだ表情になり、シートの上で大きく身体を反らせる。恵麻里とお揃いの緑のジャケットの胸元が、豊かすぎる女体を包みかねたかのようにピンと張り切った。
と、その時・・・・。
「?・・・」
怪訝そうな顔つきになり、静音は前方を凝視した。
10メートル程先にある「サンクチュアリ」の裏口がゆっくりと開き、中から人影が現れたのだ!
「あ、あの娘は!・・・・」
戸口に歩み出た、髪を短くシャギーに刈った少女に、静音は見覚えがあった。
そう、つい先程3Dの情報映像で見せられたばかりの救出目標・・・遠山深雪という、さらわれた女子高生だ!
「やはりここに囚われていたのね!・・・それにしても、何てひどい!・・・」
思わず静音が呟いたのも無理はない。
情報映像の中ではノーブルな制服姿だった少女は、今は一糸もまとわぬ全裸であった。しかも手足をそれぞれ革製の手錠で縛められ、ヨチヨチと不自由な歩みを強いられている。
どのような仕打ちを受けていたのか、その顔は強い恐怖心で血の気を失っており、映像で見せた快活な表情は微塵も残っていなかった。
(隙を見て、自力でここまで脱出して来たのかしら?・・・とにかく保護しないと!・・・)
静音が車のドアを開けかけた時、少女の肩越しに、何者かの腕がスーッと突き出された!
「あッ!・・・」
静音が叫ぶのと同時に、その腕は少女の首を巻くように締め上げ、弱々しく抗う少女を強引にドアの中へ引きずり戻そうとする!
明らかに、誘拐犯たちに逃亡が露見したのだ!
恵麻里と違って、一人で凶悪犯と渡り合ったことなど無い静音だが、躊躇している状況でないことは分かりきっていた。
(待っていて、今助けます!・・・)
彼女はダッシュボードからゴム弾を発射するノンリーサルガン(非殺傷銃)を抜き出すと、初弾をコックして車から走り出た!
煉獄都市 第3章 残酷夢の幕開け・引き裂かれて(1)
暗闇の底で、恵麻里は夢を見ていた。
夢には、電話で激しい言い争いをした、あの青井慎也が現れた。
彼は何も言わず、恵麻里に微笑を向けて、ただ闇に立ち尽くしていた。
(何?私に何が言いたいの、慎也さん?)
恵麻里は問いかけようとしたが声が出ず、身体も全く動かない。前方に朦朧と立つ慎也の笑顔が、何故かひどく悲しげなのが、彼女の胸をついた。
父の助手をしていたこのたくましい青年に、恵麻里はずっと、強い思慕の念を抱いてきた。それはきっと、初めて出会った、彼女が12才の頃からだ。そして慎也も、恵麻里が高校に進学する年頃からは、彼女を一人の女性として意識してくれていたように思う。
それだけに、父の死後、彼があっさりと独立したことによって、恵麻里は「早坂探偵事務所」ではなく、女としての自分が彼に見捨てられたように感じ、意固地になってしまったのだ。
(・・・でも今、私の本当の気持ちはどうなのだろう?・・・)
慎也の陽に焼けた端正な顔を見つめながら、恵麻里は考える。
(私は本心から、慎也さんのことを吹っ切れているだろうか?・・・ううん、そんなはずはない・・・)
・・・そう、生まれて初めて、しかもあれ程強く焦がれた異性を、た易く忘れ去ることなど出来る道理がなかった。
もし彼が電話などではなく、直接強引に会いに来てくれたら・・・そしてもし、自分のことを愛しているとでも言ってくれたら・・・。
恵麻里はきっと、過去の確執も、S・Tへのこだわりも全て捨てて、彼の胸に飛び込んでしまうだろう。
恵麻里は、自分のその気持ちを慎也に伝えたいと思った。何処だか分からないこの暗闇の中でなら、何故か素直にそれが言えるような気がした。
(慎也さん・・・)
鉛のように重い唇を押し開けて、歯の隙間から何とか声を絞り出そうとしたその時・・・。
「!・・・・」
目の前がパッと明るくなり、恵麻里は一瞬にして現実の世界に引き戻されていた。
彼女は何か柔らかい物の上に仰向けに寝かされており、見上げた天井には、彼女を覚醒させたらしい照明建材が白く光っている。
(・・・私・・・どうしたのかしら?・・・・)
まだハッキリとしない頭を打ち振り、恵麻里は周囲を見回した。
そこは二十平米程の殺風景な部屋で、鉄製らしい灰色のドアの他には窓一つ無い。
インテリアも、レザー張りの大きなソファが二つ、向かい合うように並べられているだけで、恵麻里が寝かされているのはその内の一方だった。
(ここは何処?それに、いつの間に眠ってしまったのかしら?・・・)
「目が覚めた様ね・・・」
不意に呼び掛けられ、恵麻里は思わずギョッとなって、声の主の方へ首を捻り向けた。
「あ・・・・」
彼女の寝かされているソファの背もたれ越しに、霜の降ったグレーのジャケットを着て立っている女性が見える。
クリス・宮崎だった。
(!・・・・)
瞬時にいきさつを思いだし、恵麻里は立ち上がって身構えようと身体をくねらせたが、見ていた夢がまだ続いているかのように、何故か全く四肢の自由が無い。
「あッ!・・・」
思わず自分の足下に目をやって、恵麻里はすっかり狼狽えた声を上げた。
動けないのも道理、彼女の左右の足首は、革製らしい暗赤色の拘束バンドによって束ね留められていたのである!そして後ろに回された両手首も、その感触からして、恐らく同様の物で縛められているらしい・・・。
「こ、これはどういうことですか、クリスさん?」
叫ぶように言う恵麻里を見下ろしながら、クリスはゆっくりとソファの前に回り込み、
「どういうって、つまりそういうことよ。あなたは私たちの捕虜になったの」
(捕虜・・・・)
そのあからさまな言葉に恵麻里は当惑した。
相手が犯罪者であることは見当がついていたが、ジャーナリストを装っていた自分に、何故露骨に牙を剥いて見せたのだろう?・・・。
「どうしてそんな・・・私はただ取材を・・・」
「取材?・・・そう、あなたは取材に来たんだったわねェ・・・」
クリスの口元がキューッと歪み、ククッという嘲りの笑いが洩れ出した。
「もうお互いにお芝居はやめておきましょう。ね、S・Tの早坂恵麻里さん?」
「!・・・・」
愕然として、恵麻里はクリスの白い顔を凝視した。
(私の正体がバレていた?一体何故?・・・)
「サンクチュアリ」を訪れてから、恵麻里は無論一度も本名を名乗っていないし、ましてS・Tであると気取られるアイテムも持ってはいない。なのに何故、クリスは全てを看破していたのか?それに何時どうやって恵麻里を昏睡させ、捕縛したのだろう?
「色々と納得がいかないようね。いいわ、分かるように事情を説明してあげる」
クリスは恵麻里の内心を見透かしたように言うと、反対側のソファに浅く腰掛けて足を組んだ。
「まずあなたを捕まえたからくりは、あのエレベーターよ。あれはね、昇降ボックス全体が『仕掛け罠』になっているの・・・」
そう言われて恵麻里は、クリスと共にエレベーターに乗った直後からの記憶が、全く欠落していることに気が付いた。
「あのボックスの中には、針の付いた電導索を打ち出すスタンシステムが、合計六カ所に仕込まれているのよ。その一つを私が操作して、あなたの足首に打ち込んだワケ。瞬間電圧にして55000ボルトはあるから、死にはしないにしても気絶は免れないわね。・・・そうそう、あなた頭から倒れておでこを切るところだったのよ。とっさに私が抱きとめてあげたんだから感謝してね」
クリスの声音は、広報担当として恵麻里に応じた時と同様朗らかだったが、その物言いはずっとくだけた、見下すような調子に変わっていた。
「この施設には、同じような仕掛けが至る所に設けてあるの。つまり施設全体が『召喚』のための罠と言ってもいいわね。・・・そう、あなたの睨んだ通り、『新世界準備会』はその手の組織なのよ」
(何てこと!・・・相手の本性に気付いていながら、みすみすその術中に陥ってしまうなんて!・・・)
うつむいて唇を噛み、恵麻里は自らの迂闊さを呪った。クリスはやや憐れむような表情になって、
「まあそんなに落ち込まなくてもいいわ。あなたがS・Tとして、取り立てて間抜けだったってわけじゃないんだから。あなたの敗因は、最初から私たちに正体がバレていたという一点に尽きるわね。・・・そう、私たちは、あなたがここへ来ることを知っていたのよ。そして優れた実績を持つS・Tだということも全部ね。早坂恵麻里ちゃん・・・」
「ど、どうして?・・・」
さすがにそれ以上身分を偽ることをあきらめ、恵麻里は敵意に満ちた目でクリスを睨み据えながら言った。
「なぜ私の名前を?・・・それにS・Tだってことまで?・・・」
「それは追々教えてあげるわ・・・」
クリスは言い、組んでいた足を解いて立ち上がった。
「わ、私をどうするつもり?」
内心の動揺を悟られまいと、恵麻里はクリスを見上げて精一杯強気の声を出した。
「S・Tは商売の邪魔だから、痛めつけるなり殺すなりしようってワケ?」
「馬鹿ねえ。うちの組織がS・Tに邪魔立てされたってワケじゃなし、あなたに恨みなんか無いわよ」
クリスは苦笑し、不意に身をかがめると、恵麻里の顎を優しく摘み持った。
「う・・・」
思わず身を硬くする恵麻里の耳元に唇を寄せ、クリスは囁く様な声を出す。
「言ったでしょう?ここはそういう組織なのよ。あなたの様に若くて可愛い、上等の『ゲーム』をどう扱うかは決まっているじゃない・・・」
「ゲーム(獲物)」・・・・性の商品にするために囚われた者を指すその隠語を聞き、恵麻里の全身を、改めて激しい屈辱と、そして恐怖が貫いた。
それは、S・Tとして、過去に幾多の実例・・・囚われた獲物がどれほど惨めに精神をなぶり抜かれ、肉体を過酷に責め苛まれるのか・・・をつぶさに見知ってきたからである。そして今、自分がまさにその一人として処刑に科せられようとしているのだ!
(い、イヤよ!よりによってS・Tの私が、こんな奴等の慰み者にされてたまるもんですか!)
恵麻里はことさら激しくクリスの顔を睨み付け、自らの闘志を奮い立たせようとする。 だがしかし、一体どうやって、この窮地を脱すればよいのか?
いかに合気道の有段者だとはいえ、四肢の自由を奪われた今、その力の振るいようがないではないか!・・・・
夢には、電話で激しい言い争いをした、あの青井慎也が現れた。
彼は何も言わず、恵麻里に微笑を向けて、ただ闇に立ち尽くしていた。
(何?私に何が言いたいの、慎也さん?)
恵麻里は問いかけようとしたが声が出ず、身体も全く動かない。前方に朦朧と立つ慎也の笑顔が、何故かひどく悲しげなのが、彼女の胸をついた。
父の助手をしていたこのたくましい青年に、恵麻里はずっと、強い思慕の念を抱いてきた。それはきっと、初めて出会った、彼女が12才の頃からだ。そして慎也も、恵麻里が高校に進学する年頃からは、彼女を一人の女性として意識してくれていたように思う。
それだけに、父の死後、彼があっさりと独立したことによって、恵麻里は「早坂探偵事務所」ではなく、女としての自分が彼に見捨てられたように感じ、意固地になってしまったのだ。
(・・・でも今、私の本当の気持ちはどうなのだろう?・・・)
慎也の陽に焼けた端正な顔を見つめながら、恵麻里は考える。
(私は本心から、慎也さんのことを吹っ切れているだろうか?・・・ううん、そんなはずはない・・・)
・・・そう、生まれて初めて、しかもあれ程強く焦がれた異性を、た易く忘れ去ることなど出来る道理がなかった。
もし彼が電話などではなく、直接強引に会いに来てくれたら・・・そしてもし、自分のことを愛しているとでも言ってくれたら・・・。
恵麻里はきっと、過去の確執も、S・Tへのこだわりも全て捨てて、彼の胸に飛び込んでしまうだろう。
恵麻里は、自分のその気持ちを慎也に伝えたいと思った。何処だか分からないこの暗闇の中でなら、何故か素直にそれが言えるような気がした。
(慎也さん・・・)
鉛のように重い唇を押し開けて、歯の隙間から何とか声を絞り出そうとしたその時・・・。
「!・・・・」
目の前がパッと明るくなり、恵麻里は一瞬にして現実の世界に引き戻されていた。
彼女は何か柔らかい物の上に仰向けに寝かされており、見上げた天井には、彼女を覚醒させたらしい照明建材が白く光っている。
(・・・私・・・どうしたのかしら?・・・・)
まだハッキリとしない頭を打ち振り、恵麻里は周囲を見回した。
そこは二十平米程の殺風景な部屋で、鉄製らしい灰色のドアの他には窓一つ無い。
インテリアも、レザー張りの大きなソファが二つ、向かい合うように並べられているだけで、恵麻里が寝かされているのはその内の一方だった。
(ここは何処?それに、いつの間に眠ってしまったのかしら?・・・)
「目が覚めた様ね・・・」
不意に呼び掛けられ、恵麻里は思わずギョッとなって、声の主の方へ首を捻り向けた。
「あ・・・・」
彼女の寝かされているソファの背もたれ越しに、霜の降ったグレーのジャケットを着て立っている女性が見える。
クリス・宮崎だった。
(!・・・・)
瞬時にいきさつを思いだし、恵麻里は立ち上がって身構えようと身体をくねらせたが、見ていた夢がまだ続いているかのように、何故か全く四肢の自由が無い。
「あッ!・・・」
思わず自分の足下に目をやって、恵麻里はすっかり狼狽えた声を上げた。
動けないのも道理、彼女の左右の足首は、革製らしい暗赤色の拘束バンドによって束ね留められていたのである!そして後ろに回された両手首も、その感触からして、恐らく同様の物で縛められているらしい・・・。
「こ、これはどういうことですか、クリスさん?」
叫ぶように言う恵麻里を見下ろしながら、クリスはゆっくりとソファの前に回り込み、
「どういうって、つまりそういうことよ。あなたは私たちの捕虜になったの」
(捕虜・・・・)
そのあからさまな言葉に恵麻里は当惑した。
相手が犯罪者であることは見当がついていたが、ジャーナリストを装っていた自分に、何故露骨に牙を剥いて見せたのだろう?・・・。
「どうしてそんな・・・私はただ取材を・・・」
「取材?・・・そう、あなたは取材に来たんだったわねェ・・・」
クリスの口元がキューッと歪み、ククッという嘲りの笑いが洩れ出した。
「もうお互いにお芝居はやめておきましょう。ね、S・Tの早坂恵麻里さん?」
「!・・・・」
愕然として、恵麻里はクリスの白い顔を凝視した。
(私の正体がバレていた?一体何故?・・・)
「サンクチュアリ」を訪れてから、恵麻里は無論一度も本名を名乗っていないし、ましてS・Tであると気取られるアイテムも持ってはいない。なのに何故、クリスは全てを看破していたのか?それに何時どうやって恵麻里を昏睡させ、捕縛したのだろう?
「色々と納得がいかないようね。いいわ、分かるように事情を説明してあげる」
クリスは恵麻里の内心を見透かしたように言うと、反対側のソファに浅く腰掛けて足を組んだ。
「まずあなたを捕まえたからくりは、あのエレベーターよ。あれはね、昇降ボックス全体が『仕掛け罠』になっているの・・・」
そう言われて恵麻里は、クリスと共にエレベーターに乗った直後からの記憶が、全く欠落していることに気が付いた。
「あのボックスの中には、針の付いた電導索を打ち出すスタンシステムが、合計六カ所に仕込まれているのよ。その一つを私が操作して、あなたの足首に打ち込んだワケ。瞬間電圧にして55000ボルトはあるから、死にはしないにしても気絶は免れないわね。・・・そうそう、あなた頭から倒れておでこを切るところだったのよ。とっさに私が抱きとめてあげたんだから感謝してね」
クリスの声音は、広報担当として恵麻里に応じた時と同様朗らかだったが、その物言いはずっとくだけた、見下すような調子に変わっていた。
「この施設には、同じような仕掛けが至る所に設けてあるの。つまり施設全体が『召喚』のための罠と言ってもいいわね。・・・そう、あなたの睨んだ通り、『新世界準備会』はその手の組織なのよ」
(何てこと!・・・相手の本性に気付いていながら、みすみすその術中に陥ってしまうなんて!・・・)
うつむいて唇を噛み、恵麻里は自らの迂闊さを呪った。クリスはやや憐れむような表情になって、
「まあそんなに落ち込まなくてもいいわ。あなたがS・Tとして、取り立てて間抜けだったってわけじゃないんだから。あなたの敗因は、最初から私たちに正体がバレていたという一点に尽きるわね。・・・そう、私たちは、あなたがここへ来ることを知っていたのよ。そして優れた実績を持つS・Tだということも全部ね。早坂恵麻里ちゃん・・・」
「ど、どうして?・・・」
さすがにそれ以上身分を偽ることをあきらめ、恵麻里は敵意に満ちた目でクリスを睨み据えながら言った。
「なぜ私の名前を?・・・それにS・Tだってことまで?・・・」
「それは追々教えてあげるわ・・・」
クリスは言い、組んでいた足を解いて立ち上がった。
「わ、私をどうするつもり?」
内心の動揺を悟られまいと、恵麻里はクリスを見上げて精一杯強気の声を出した。
「S・Tは商売の邪魔だから、痛めつけるなり殺すなりしようってワケ?」
「馬鹿ねえ。うちの組織がS・Tに邪魔立てされたってワケじゃなし、あなたに恨みなんか無いわよ」
クリスは苦笑し、不意に身をかがめると、恵麻里の顎を優しく摘み持った。
「う・・・」
思わず身を硬くする恵麻里の耳元に唇を寄せ、クリスは囁く様な声を出す。
「言ったでしょう?ここはそういう組織なのよ。あなたの様に若くて可愛い、上等の『ゲーム』をどう扱うかは決まっているじゃない・・・」
「ゲーム(獲物)」・・・・性の商品にするために囚われた者を指すその隠語を聞き、恵麻里の全身を、改めて激しい屈辱と、そして恐怖が貫いた。
それは、S・Tとして、過去に幾多の実例・・・囚われた獲物がどれほど惨めに精神をなぶり抜かれ、肉体を過酷に責め苛まれるのか・・・をつぶさに見知ってきたからである。そして今、自分がまさにその一人として処刑に科せられようとしているのだ!
(い、イヤよ!よりによってS・Tの私が、こんな奴等の慰み者にされてたまるもんですか!)
恵麻里はことさら激しくクリスの顔を睨み付け、自らの闘志を奮い立たせようとする。 だがしかし、一体どうやって、この窮地を脱すればよいのか?
いかに合気道の有段者だとはいえ、四肢の自由を奪われた今、その力の振るいようがないではないか!・・・・
煉獄都市 第3章 残酷夢の幕開け・引き裂かれて(2)
「それじゃあ、早速始めましょうね・・・」
クリスは言うと、ジャケットの内ポケットからシガレットケース様の物を取り出した。
「な、何をする気なの?・・・」
思わず不安げな声を出す恵麻里に、クリスはケースの蓋を開いて見せ、
「言ったでしょう?あなたはうちの商品になるのよ。そのためにはそれなりの仕込みをして、お客様の気に入っていただかないとね。・・・ほら、これが何だか知っているでしょう?」
ケースの中には、所々に穴のあいた銀色の平たい直方体、ノズル状のアタッチメント、薄緑の液体が充填されたアンプル数本、その他細かい金具類が整然と収納されている。
それは確かに、恵麻里も何度か目にしたことのある、忌まわしい非合法アイテムだった。
「ゾ、ゾニアン!・・・」
「そうよ。自分で使ったことはないの?」
「当たり前よ!誰がそんな物ッ!・・・」
見るも汚らわしいとばかりに顔を背ける恵麻里の瞳には、しかし急速に、強い恐怖の色が浮かび始める。
「ゾニアン」とは、十年ほど前にメキシコで初めて合成された薬物で、付近の住民を指す言葉が、いつの間にか俗称になったらしい。
非常に強力な催淫性を持つことで知られており、一般の使用や販売を認めている国は建前上一国も無いので、その流通はもっぱら地下組織に依っていた。
習慣性は無いと言われているが、あまりの快感に大抵の者は病み付きになってしまうし、多量を一度に用いれば脳機能に障害を及ぼすことも実証されていたからだ。
逆に「召喚」犯罪を生業とする組織にとっては、これほど便利な薬もない。捕らえた女性を短期間に「商品」・・・即ち性の奴隷の様な、人格破綻者に仕上げられるからである。
恵麻里が過去に助け出した女性の中にも、この薬のために廃人同然になってしまっていたり、その快楽を忘れられず、囚われていた組織に自ら身を売りに戻ったりする者がいた。その恐るべき魔の媚薬が、今自分の身体に試されようとしているのだ!
「うちでは普通、商品を薬だけで仕上げることはしないのよ・・・」
銀の直方体にノズルその他の金具をはめ込みながら、クリスが歌うように言った。
「他の組織には真似の出来ない、うち独特の商品製造法があるの。だけど捕らえた獲物にまずリラックスしてもらうためには、やっぱりこの薬が重宝するからね。・・・さあ、準備が出来たわ・・・」
クリスが最後にアンプルを差し込むと、ケースの中の部品は、点眼液の容器を大きくしたような形に組み上がった。
この器具は、アンプル内に満たされた薬液、つまり「ゾニアン」を皮下に強制注入するための物なのだ。
「とっても高価い薬だから、まずは一目盛り分だけ打ってあげるわ。だけど未経験者は普通半目盛りだけで天国へ行けるから、これでも相当楽しめるわよ」
注入量の調節ダイアルを回すクリスから少しでも遠ざかろうと、恵麻里は不自由な身体をよじる。
「い、イヤッ!そんな薬いらないッ!」
「自分で使ったこともないくせに、そう毛嫌いする事はないでしょう?一度この快楽を味わえば、きっと病みつきになるわよ」
「冗談じゃないわ、汚らわしいッ!」
「フフフ・・・」
クリスは笑顔のままソファに片膝を付き、必死にもがく恵麻里の頭をグッと鷲掴みに押さえつけた。
その思わぬ強力(ごうりき)に、勢い仰け反るような姿勢になった恵麻里の首筋に、素早く注入器が押し当てられる。
シュッ!という乾いた音と共に、その部位がまるでドライアイスに触れたように冷たくなるのが分かった。
「ヒッ!・・・」
思わず怯えた声を上げて身をすくませた恵麻里の頬に手を当て、クリスは優しく落ち着かせるかのように、二度三度と愛撫を繰り返す。
「さあ注入完了よ。どのくらいの間イキ狂わずに辛抱できるか楽しみね。超即効性だから、素人だと二分ともたないでしょうけれど・・・」
「だッ、誰がそんな・・・こんな薬に迷わされたりするものですか!」
激しく言い募りながら、しかし恵麻里の内心には不安が黒々と膨れ上がってゆく・・・。
18才の彼女は、未だその身体に男性を迎え入れたことが無かった。それどころか、自ら慰めることすら、知識として知ってはいても、実際に試したことは無かったのである。
それは青井慎也との別離以来、他の男性を近づける気になれなかったことや、S・Tという仕事柄、人の淫らな営みをのべつ見せつけられてきたことが原因と言えた。
恵麻里は自分でもそれと気付かぬうちに、「性」というものを恐れ、必要以上に嫌悪するようになっていたのだ。
それだけに、これから強制的に味あわされるかもしれない官能は、彼女にとっては忌むべき未知の世界と言えるのだった。
そしてその未知の感覚は、クリスの言った通り、ほんの十秒も経たないうちに、恵麻里の若い肉体をみるみる侵し始めた!
「うぅ、うッ?・・・」
何かやるせないような切なさが、身体の芯から繰り返し沸き起こり、全身を熱く火照らせてゆく。
乳房の頂点から、微電流のような痺れが、次第に強く、波紋のように広がり、そこを誰かに思いきり揉みしだいてもらいたいという、信じられないような淫らな欲求が、理性を暗く覆い始める。
(う、ウソ・・・こ、こんなこと・・・うッ!・・・)
脊髄を駆けのぼる異様な戦慄に思わず胸を反らせた途端、すでに硬く充血しているらしい両の乳首が下着に激しく擦れ、そこからほとばしる電撃のような疼きに、たまらず上体を逆に折る。
「くぅッ!・・・」
食いしばった口元から、押し殺したような呻きが吹きこぼれた。
(こ、これが・・・死者すら歓喜に狂わせると言われる・・・ゾニアンの・・魔力なの?・・・)
これまで微塵も知らなかった感覚にとまどい、怯え、恵麻里は縛められた身体を震わせる。端正な顔は今やすっかり桃色に上気し、細かい汗の粒が一面に吹き出しつつあった。
「汚らわしい薬の感想はどうお、ご清潔なS・Tさん?・・・フフフ、天にも昇る気分でしょう?・・・」
あざ笑うように言い、クリスは横たわった恵麻里の上に覆い被さった。
「今もぉっと良くしてあげるからね。本当に天に昇ってしまうまで。フフフフフフ・・・」
「な、何を・・・あッ!・・・」
胸元から、大きく結んだ黄色のリボンがサッと引き抜かれる。さらにクリスは、凶暴な笑みを浮かべながら、恵麻里のジャケット、そしてブラウスの前ボタンを手際よくはずし始めた。
「ダメッ!そんなッ!・・・」
狼狽え、上体を激しくよじった瞬間に、最後のボタン、そしてブラジャーのフロントホックまでがはずされ、豊かな両の乳房がまるで弾けるようにブルンとこぼれ出る。
それは熱くたぎった血流によってすでにパンパンに腫れ、吹き出た歓喜の汗で艶やかに照り輝いていた。
「フフフ・・・なんて可愛らしいの・・・」
感じ入ったようにクリスが言い、硬く尖って上を向いている可憐なピンク色の乳首をつまみ上げた時、恵麻里は初めて心底からの恐怖を込めて絶叫した。
「い、イヤーッ、触らないでーッ!」
クリスは言うと、ジャケットの内ポケットからシガレットケース様の物を取り出した。
「な、何をする気なの?・・・」
思わず不安げな声を出す恵麻里に、クリスはケースの蓋を開いて見せ、
「言ったでしょう?あなたはうちの商品になるのよ。そのためにはそれなりの仕込みをして、お客様の気に入っていただかないとね。・・・ほら、これが何だか知っているでしょう?」
ケースの中には、所々に穴のあいた銀色の平たい直方体、ノズル状のアタッチメント、薄緑の液体が充填されたアンプル数本、その他細かい金具類が整然と収納されている。
それは確かに、恵麻里も何度か目にしたことのある、忌まわしい非合法アイテムだった。
「ゾ、ゾニアン!・・・」
「そうよ。自分で使ったことはないの?」
「当たり前よ!誰がそんな物ッ!・・・」
見るも汚らわしいとばかりに顔を背ける恵麻里の瞳には、しかし急速に、強い恐怖の色が浮かび始める。
「ゾニアン」とは、十年ほど前にメキシコで初めて合成された薬物で、付近の住民を指す言葉が、いつの間にか俗称になったらしい。
非常に強力な催淫性を持つことで知られており、一般の使用や販売を認めている国は建前上一国も無いので、その流通はもっぱら地下組織に依っていた。
習慣性は無いと言われているが、あまりの快感に大抵の者は病み付きになってしまうし、多量を一度に用いれば脳機能に障害を及ぼすことも実証されていたからだ。
逆に「召喚」犯罪を生業とする組織にとっては、これほど便利な薬もない。捕らえた女性を短期間に「商品」・・・即ち性の奴隷の様な、人格破綻者に仕上げられるからである。
恵麻里が過去に助け出した女性の中にも、この薬のために廃人同然になってしまっていたり、その快楽を忘れられず、囚われていた組織に自ら身を売りに戻ったりする者がいた。その恐るべき魔の媚薬が、今自分の身体に試されようとしているのだ!
「うちでは普通、商品を薬だけで仕上げることはしないのよ・・・」
銀の直方体にノズルその他の金具をはめ込みながら、クリスが歌うように言った。
「他の組織には真似の出来ない、うち独特の商品製造法があるの。だけど捕らえた獲物にまずリラックスしてもらうためには、やっぱりこの薬が重宝するからね。・・・さあ、準備が出来たわ・・・」
クリスが最後にアンプルを差し込むと、ケースの中の部品は、点眼液の容器を大きくしたような形に組み上がった。
この器具は、アンプル内に満たされた薬液、つまり「ゾニアン」を皮下に強制注入するための物なのだ。
「とっても高価い薬だから、まずは一目盛り分だけ打ってあげるわ。だけど未経験者は普通半目盛りだけで天国へ行けるから、これでも相当楽しめるわよ」
注入量の調節ダイアルを回すクリスから少しでも遠ざかろうと、恵麻里は不自由な身体をよじる。
「い、イヤッ!そんな薬いらないッ!」
「自分で使ったこともないくせに、そう毛嫌いする事はないでしょう?一度この快楽を味わえば、きっと病みつきになるわよ」
「冗談じゃないわ、汚らわしいッ!」
「フフフ・・・」
クリスは笑顔のままソファに片膝を付き、必死にもがく恵麻里の頭をグッと鷲掴みに押さえつけた。
その思わぬ強力(ごうりき)に、勢い仰け反るような姿勢になった恵麻里の首筋に、素早く注入器が押し当てられる。
シュッ!という乾いた音と共に、その部位がまるでドライアイスに触れたように冷たくなるのが分かった。
「ヒッ!・・・」
思わず怯えた声を上げて身をすくませた恵麻里の頬に手を当て、クリスは優しく落ち着かせるかのように、二度三度と愛撫を繰り返す。
「さあ注入完了よ。どのくらいの間イキ狂わずに辛抱できるか楽しみね。超即効性だから、素人だと二分ともたないでしょうけれど・・・」
「だッ、誰がそんな・・・こんな薬に迷わされたりするものですか!」
激しく言い募りながら、しかし恵麻里の内心には不安が黒々と膨れ上がってゆく・・・。
18才の彼女は、未だその身体に男性を迎え入れたことが無かった。それどころか、自ら慰めることすら、知識として知ってはいても、実際に試したことは無かったのである。
それは青井慎也との別離以来、他の男性を近づける気になれなかったことや、S・Tという仕事柄、人の淫らな営みをのべつ見せつけられてきたことが原因と言えた。
恵麻里は自分でもそれと気付かぬうちに、「性」というものを恐れ、必要以上に嫌悪するようになっていたのだ。
それだけに、これから強制的に味あわされるかもしれない官能は、彼女にとっては忌むべき未知の世界と言えるのだった。
そしてその未知の感覚は、クリスの言った通り、ほんの十秒も経たないうちに、恵麻里の若い肉体をみるみる侵し始めた!
「うぅ、うッ?・・・」
何かやるせないような切なさが、身体の芯から繰り返し沸き起こり、全身を熱く火照らせてゆく。
乳房の頂点から、微電流のような痺れが、次第に強く、波紋のように広がり、そこを誰かに思いきり揉みしだいてもらいたいという、信じられないような淫らな欲求が、理性を暗く覆い始める。
(う、ウソ・・・こ、こんなこと・・・うッ!・・・)
脊髄を駆けのぼる異様な戦慄に思わず胸を反らせた途端、すでに硬く充血しているらしい両の乳首が下着に激しく擦れ、そこからほとばしる電撃のような疼きに、たまらず上体を逆に折る。
「くぅッ!・・・」
食いしばった口元から、押し殺したような呻きが吹きこぼれた。
(こ、これが・・・死者すら歓喜に狂わせると言われる・・・ゾニアンの・・魔力なの?・・・)
これまで微塵も知らなかった感覚にとまどい、怯え、恵麻里は縛められた身体を震わせる。端正な顔は今やすっかり桃色に上気し、細かい汗の粒が一面に吹き出しつつあった。
「汚らわしい薬の感想はどうお、ご清潔なS・Tさん?・・・フフフ、天にも昇る気分でしょう?・・・」
あざ笑うように言い、クリスは横たわった恵麻里の上に覆い被さった。
「今もぉっと良くしてあげるからね。本当に天に昇ってしまうまで。フフフフフフ・・・」
「な、何を・・・あッ!・・・」
胸元から、大きく結んだ黄色のリボンがサッと引き抜かれる。さらにクリスは、凶暴な笑みを浮かべながら、恵麻里のジャケット、そしてブラウスの前ボタンを手際よくはずし始めた。
「ダメッ!そんなッ!・・・」
狼狽え、上体を激しくよじった瞬間に、最後のボタン、そしてブラジャーのフロントホックまでがはずされ、豊かな両の乳房がまるで弾けるようにブルンとこぼれ出る。
それは熱くたぎった血流によってすでにパンパンに腫れ、吹き出た歓喜の汗で艶やかに照り輝いていた。
「フフフ・・・なんて可愛らしいの・・・」
感じ入ったようにクリスが言い、硬く尖って上を向いている可憐なピンク色の乳首をつまみ上げた時、恵麻里は初めて心底からの恐怖を込めて絶叫した。
「い、イヤーッ、触らないでーッ!」